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手紙の中の殺人者

手紙の中の殺人者
廣海 好

 男は親指ほどの大きさのガラス瓶を手の平で転がした。白い粉体が砂のようにサラサラとビンの壁を移動した。
 固く栓がされたその瓶の粉は、その色とは正反対に、彼の心の奥底に眠る黒い部分が形を変えたものだった。
「あいつらは、今頃、何をしているのだろう?」
 そう言って男はビンを強く握り締め、目の前にかざし、机の上に立てた。その指は微かに震えているように見えた。
「今まではあいつらの思い通りにされていたが、それも今日でおしまいだ」
 男は口の端を吊り上げた。
 わずかに開けた窓から入り込む風がカーテンを優しく揺らし、射し込んできた夕日がビンを眩しく光らせた。
 男は椅子に深く腰掛けながら、明日行うことを頭の中で何度も何度も繰り返し想像した。「この計画に問題はない。冷静さを失ってはいけない。そうすれば必ずうまくいく」
 目を瞑り、自分に言い聞かせるように唱えた。
 もう何ヶ月も苦しみ、彼の彼の心の中には、ある決心が形となって生まれていた。
「これでやっと、普通の学校生活が送れる。何も悩まなくてすむ」
 頬をつたった涙は顎からこぼれ落ち、手の甲で弾け飛んだ。
「神様、僕を許してください」
 突然の強い風が吹き、カーテンを大きく揺らした。


 二時間目の授業中。僕は長谷川先生の声を聞き流しながら、昨日はじめたゲームのことを考えていた。
――あのボスキャラを倒すにはもう少しレベルを上げないといけないな。武器ももっと強力なのが欲しい――
 僕はゲームの中の主人公が持っている装備をノートに書いた。
――あっ、あと魔法の薬があった――
 そう思って、鉛筆を握った時、
「おい。そこ。何をやってる」
 長谷川先生の怒鳴り声が聞こえた。
 僕は全身に電気が流れて、ピンと背筋を伸ばした。
「授業中に漫画を読むなんて何を考えてるんだ」
 長谷川先生が怒ったのは、内藤光司と古崎亮だった。自分のことかと思った僕はほっとした。
 彼ら二人は隣同士で座り、週刊の漫画雑誌を読んでいた。中学二年になって半年経つが、見慣れた光景だった。
 内藤は、
「何を考えてるかって? 何も考えてないよ。俺たちに考える頭なんてないんだって」
 そう言って古崎と一緒に笑った。
「そんなことじゃ、三年生になっても高校に受からないぞ」
「いつもそのセリフだなあ。聞き飽きたよ。もっと他にないの? 面白そうだねえ。その本、僕にも読ませてよ。とかさ」
 古崎がにやけた顔で言った。
「いいから、それをしまいなさい」
 長谷川先生が手を伸ばしたが、
「何すんだよ。触るんじゃねえ」
 内藤が大声を出した。続けて、
「自分の金で買ったんだよ。お前に奪われる筋合いはねえ」
 と凄んだ。
――何が自分の金だ。どうせクラスのみんなから巻き上げた金で買ったんだろ――
 僕は心の中で毒づいた。
 長谷川先生は大きく溜息をついて、
「もういい、お前らの担任になった俺は不幸だよ」
 内藤と古崎は、引き上げていく長谷川先生を爪楊枝のように細く切った眉を一直線にして睨み付けていた。

 昼休みになって、トイレに行こうと廊下を歩いていると、後ろから、
「津山君。ちょっと」
 と話し掛けられた。声で内藤だとすぐに分かった。僕の笑顔は一瞬で消えた。一緒に歩いていた谷も驚いた様子で肩を揺らした。
「なあ、津山君。俺たちさあ、今日金ないんだ」
「そ、そうなの」
「お金がなくて、昼御飯が買えないなんてかわいそうだろ?」
「う、うん」
「だからさあ、パンとジュース買ってきてくれないかなあ。お金は明日払うから」
 内藤は僕の僕の肩に腕を乗せながらそう言った。
 ここんとこ毎日だった。僕は毎月のおこずかいのほとんどを内藤の腹を満たすために使っている。明日払うと言って、払ってもらった試しはない。
 僕は内藤の顔を見上げながら、
「う、うん。いいよ」
 小さく言った。
 その後、古崎が、
「俺の分は谷君買ってきてくれるよな。俺たち友達だもんな」
 そう言いながら小柄な谷の肩を強くもんだ。その衝撃で、谷の眼鏡が落ちそうなくらいにずれた。谷は何も言わないで一回だけ首を縦に振った。
「俺たちは屋上にいるから、早く持ってこいよ」
 それだけ言うと、二人は振り返りもしないで階段を上っていった。
「仕方がない。行こうか」
 谷を見ると、悔しそうに唇を震わせていた。
「なあ、津山君。君は悔しくないの? あんなに一方的に言われてさあ。これじゃあ、まるで僕らは奴隷じゃない」
「まあまあ、そう怒るなって、三月になったらクラス替えだろ。それまでの辛抱だよ。あと半年近くはあるけどさ」
「そういう問題じゃない」
 谷はそう怒ったような口調で言うと早足で歩いていった。

「ちゃんと買ってきたか?」
 内藤が屋上で寝そべりながら言った。古崎は壁にもたれ掛かりながら、漫画を読んでいた。日差しが心地よく、風も暖かかった。
「メロンパンとジャムパンしかなかったんだけど……」
 僕は学校の購買で買ってきたパンとオレンジジュースを差し出しながら言った。
「何だって、それだけかよ」と内藤。
「うん、売り切れてて」
「だとよ、古崎」
「まあ、仕方ないんじゃない。ないんだったらさあ」
 漫画から視線を離さずに古崎が言った。
「それでいいよ。よこせ」
 内藤は僕からパンの入った袋を取り上げた。
「あれっ、封がしたままじゃん。何で開けといてくれないんだよ。これじゃあ、すぐに食べられないじゃんか。気が利かないなあ」
「ごめん」
 僕は内藤からもう一度袋を受け取ると、パンの袋を開けてから渡した。
「それでいいんだよ。これからは気を付けろよ」
「俺はそのままでいいよ。谷の触ったパンなんて気持ち悪くて食べられないから」
 谷は目を伏せたまま古崎の座っている横に買ってきたパンとジュースを置くと、そのまま走っていった。
「お、おい、谷」と僕。
「もういいよ。お前もどっかにいけ」
 僕は内藤の言葉で、谷を追いかけるように走った。
 階段で谷に追いつくと、
「待てよ。どうしたんだよ。何も逃げることはないだろう」
 谷は僕の腕を振り払うと、階段を駆け下りた。その時に見た谷の目は、真っ赤に充血し、目元に涙がたまっていた。
「谷……」
 僕は追いかけることもできないで、その場にしばらく立ちすくんだ。

 教室に戻った僕は、机の中から五時間目の授業である国語の教科書を取り出していた。――谷の奴、最近変だなあ。笑顔を見せなくなったし。内藤と古崎に腹を立てているのだろうか。おかしなことでも考えてなければいいけど――
 そう考えていると、
「あれっ」
 机に突っ込んだ手に、何かが当たった。僕はそれを握ると、勢いよく取り出した。
「何だ? この瓶は」
 握ったら隠れるほどの小さなガラス瓶だった。中には真っ白な粉が入っている。
「誰かのいたずらか?」
 さらに、入れた覚えのない紙が、机の中にあるのを見つけた。
「ん? この瓶と何か関係があるのか?」
 広げると大学ノートの切れ端にワープロの文字が印刷されていた。

『津山君、こんにちは。
 突然だけど、君は内藤と古崎のことをどう思う? 決していい感情を抱いていないんじゃあないのかな? 私もそうだよ。あいつらは自分たち以外のクラスメイトを奴隷のように扱う最低の人間だ。少しくらい痛い目に合わせてもいいはずだ。そう思っている。
 だから、面白いものを用意したんだ。この手紙と一緒に入っていた瓶はもう見つけただろう。それは下剤だ。しかも、すごく強力なものだ。飲んだらすぐ効果が現れるよ。
 君はいつも内藤にパンを買ってきているだろう。その時この粉をパンに塗ってくれないかな。ちょっと塗るだけでいい。そうすれば、午後の授業であいつは、腹を押さえてトイレに行きっ放しだ。
 それを見て笑ってやろうよ。あいつの困る顔を見るなんて面白いとは思わないか? 
 私は君が必ず実行してくれると信じているよ。罪悪感なんて感じなくていい。あいつはそんな目にあって当然の奴なんだから。
 この紙と瓶は、使用後にはすぐに捨ててね。
 二年四組の変革者』

「二年四組の変革者?」
 首を振ってクラス全体を見たが、僕の方を見ている奴はいない。
――いったい誰だ? 私って書いてるってことは女子か? いや、でも男子だってそう書いてもおかしくはない――
 僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
――この手紙を書いたのが誰であろうと、問題はこの粉を使うか、使わないかだ――
 僕は瓶を隠すように握りしめると、ズボンのポケットに捻り込んだ。
――確かに内藤は嫌な奴だ。決して好きではない。だけど、だからといってこんな犯罪じみたことをしていいのだろうか?――
 授業が始まる直前、内藤がやってきて、
「明日もパンとジュース買ってこいよな」
 王様が家来に対して言う口調そのものだった。
「う、うん」
 その時、僕は粉を使う決心をした。


 カーテンを閉めきった部屋。月の光も入らない。乾燥した冷たい空気が、部屋の中に閉じこめられていた。
 男は机の上のスタンドの明かりだけを点け、自分の心の闇を開放していた。
「手紙を読んだのだろうか」
 そう呟いて目に力を入れた。男の計画はスターとしていた。その狂気的で、悲しい計画に、気が付く者はまだ誰もいない。
「明日の午後が楽しみだ。くっ、くっ、くっ」
 押し殺した笑いが、部屋の中を静かに伝わっていった。


 次の日の昼になって、僕は昨日と同じようにパンとジュースを買った。
「津山君。今日は僕が内藤に渡すよ」
 突然、谷が言った。
 昨日、古崎に言われた言葉を気にしているのだろう。
「えっ、そう。分かった。封だけ切っとくから、ちょっと待ってて」
 僕は谷に背を向け、下剤だという白い粉をパンの表面に塗った。
――これは単なるゲームだ。ちょっとしたいたずらゲーム。何も悪いことなんてない――
 そう心で唱えていた。
「どうしたの? 何かしてるの?」
 谷が手元を覗いてきたので慌てて、
「いや、何でもないよ。ちょっとクリームパンの袋がなかなか切れなかっただけ」
 僕は素早く瓶を隠した。
「そう。それならいけど」
「それより急ごう。遅れるとあいつらに怒鳴られる」
 二人で走り出した。廊下は走らないという張り紙が目の隅に映った。
 廊下の角を曲がったところで、誰かにぶつかり、バランスを崩した。持っていたパンは床に落下した。
「痛たたた」
 床に尻を着けながら見上げると、長谷川先生だった。
「お前たち大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です」
「廊下は走っちゃだめだろう。人とぶつかって怪我をするぞ」
「すいません。ちょっと急いでいたので」
「急いでいるからって、走ってはだめだ」
 長谷川先生は落ちたパンを丁寧に拾い上げると、
「このパンどうしたんだ? お前たちはいつも弁当だろ?」
 谷はそのパンをひったくるようにして奪うとそのまま走っていった。
「おい、谷」
 長谷川先生の低い叫び声は、むなしく廊下に響いた。
「どうしたんだよ。あいつ」
「いや、分からないです。僕も急いでますんで」
 僕は目を合わさないでそう言うと、谷を追いかけた。

「おっ、今日は早いな」
 屋上で内藤が言った。
「どれどれ」
 内藤は谷から受け取った袋を開いた。
「へー、おいしそうじゃないか。よし、合格だ」
 そう言って、内藤は粉のことには気が付かないで、クリームパンにかぶりついた。
 僕はその瞬間、目を逸らした。心のどこかに罪悪感があったのかもしれない。ふと、谷を見ると怯えたように唇を震わせていた。内藤に何か言われるんじゃないかと思ったのだろう。
 僕は古崎にパンを渡すとすぐに立ち去った。
「なあ、谷。何を言われてもあんまり気にするなよ。あんな奴らの言うことなんて無視したらいい」
「うん、そうするよ」
 やけに素直な反応だった。その時触れた谷の肩は小刻みに震えていた。
「あ、そうだ。風邪薬、分けてくれない? ちょっと喉が痛くてさ」
「それは風邪の引きかけだね。いいよ。持ってるから上げるよ」
 いつもの笑顔を取り戻して、谷が言った。
「いつもありがとうね」
 谷の家は薬局をやっていて、よく風邪を引く僕は、時々薬をもらっていた。自分で買った薬はなかなか効かないが、谷からもらう薬は不思議とすぐに効果があった。

 午後の授業は、数学で始まった。担任の長谷川先生の授業だ。締め切った教室は汗をかくほどの気温になっていた。
 僕は内藤のことが気になって仕方がなかった。
――いつ苦しみはじめるんだろう――
 そう思って落ち着きなく、鉛筆をいじった。
 授業がはじまって十分が経過して、僕は内藤の方をちらりと見たが、古崎と小声で話している。何も変わった様子はない。
――すぐ効果が出るなんて書いて合ったけど、まだなのかな。ひょっとして、本当は下剤じゃなくて、ただの小麦粉かなんかだったのかも――
 そう考えたら、肩の力がすーっと抜けた。
――僕がだまされただけなら、それはそれでいいや――
 僕は強く鉛筆を握ると、黒板に目を向けた。
「うぐあ」
 悶える声が教室に響いた。僕は頭を殴られたようなショックを受けて声のする方に顔を向けた。やはり、内藤だった。
 腹を押さえながら、椅子から滑り落ち、床に顔をぶつけた。
――すごい苦しみ方だ。あの下剤はそんなにも強力だったのか――
 そう思ってつばを飲み込み、手を口に当てた。
「ぐわつ、うぐわっ」
 苦しみ続ける内藤。床を転げ回り、体を机や椅子にぶつけた。
「おい、内藤どうしたんだ? しっかりしろ」
 長谷川先生が駆け寄って声をかけた。内藤の顔は真っ青で、口の中からカニのような泡が出ていた。
「これは、まずいな。先生は内藤を保健室に連れて行くから、他のみんなは自習していてくれ」
 長谷川先生は内藤を抱きかかえると、教室を出ていった。
 僕は速度を増した心臓の鼓動を押さえるように、胸に手を置きながら二人を見送った。
――僕はいったい何を内藤に飲ませてしまったんだ――
 内藤のひどい苦しみようは、単なる腹痛ではないようだった。
 しばらくすると、救急車のサイレンの音が聞こえ、校門から入ってきた。
 白い粉を塗ったパンを食べたせいで、内藤は救急車で運ばれてしまった。
――僕は何てことをしてしまったんだ――
 足の指先からはじまった震えはすぐに全身に伝わった。

 その日の晩、眠れない僕は、ベッドの中で暗い天井を見上げていた。昼間の暖かさは消え去り、冷たい空気が床に溜まっていた。僕は顔の半分を布団に入れた。
――あの手紙を書いて、白い粉の入った瓶を僕の机に入れたのはいったい誰なんだろうか。そいつはよっぽど内藤のことを恨んでいるに違いない。
 だから、あんな得体の知れない毒まで用意して仕返ししようとしたんだ。まさか、死ぬことはないと思うけど、ひどい毒のようだった――
 静寂の夜。耳を流れる血液の音が聞こえてきそうだった。
――内藤を恨んでいそうな人物。それが手紙を書いた人物だ。そう考えても特別に誰の顔も浮かばない。クラス全員が、何かしら内藤に危害を受けている。あの手紙は誰が書いてもおかしくない――
 僕は寝返りをうって、壁の方に身を寄せた。


 遠くから聞こえる踏切の音に男は神経を集中した。これが男の習慣だった。一定のリズムで鳴るこの刺激的な音は、男の体に吸収され、心の闇を増大させた。
「第一段階は、成功だ。計画通り、確かに毒は塗られた。そして、あいつは倒れた」
 男の見つめる目線の先にはワープロの画面があった。
「だけど、安心してはいけない。もう一人残っている。そいつを片付けるまで、心の平和はやってこない」
 固い決心、崩れない決心。それが男の全てだった。
 男は指先を動かし、画面に文字を並べていった。薄暗い部屋の中で、画面から出る光が男の顔を青白く照らしていた。


 朝、教室に着いた僕は内藤の姿を探した。しかし、見当たらなかった。
――まだ具合が悪くてこれないだけだ――
 僕はそう考えた。
 内藤がこないまま、朝のホームルームがはじまった。
 長谷川先生は、挨拶をすませると、
「内藤のことなんだけど、教室で倒れたのは見ていたね。あの後近くの病院に運んで診察してもらったんだけど……」
 そこで言葉を切った。
――何だ。内藤はどうなったって言うんだ? まさか……――
 僕の頭の中には最悪の考えがよぎった。
「助からなかったんだ。かなり強い毒を飲んだらしい」
 そう言って長谷川先生は、うなだれたまましばらく何も言わなかった。
――内藤が死んだ? うそだろ――
 クラスの連中は、平然とした様子だった。誰も悲しむ仕草を見せない。
 僕は呼吸が早まり、隣の人に聞こえるんじゃないかというほどひどく体を震わせた。
――何てことだ。あの白い粉は猛毒だったんだ。僕が内藤を殺した。彼の命を奪ってしまったんだ――
 今頃後悔してももう遅い。もう取り返しがつかないのだ。失われた命はもう戻ってはこない。
「通夜は明日行われるそうだ」
 その長谷川先生の言葉が、いつまでも耳にこだました。

 昼休み、僕は何も口にしないまま、屋上で寝転がっていた。
――内藤が死んでしまうなんて、しかも、僕のせいで―― 
 今まで死なんてことは意識したことがなかった僕は急に死という名前の重りが心にぶら下がって、このままどこまでも落下していきそうだった。
――僕はこれからどうしたらいいんだろう。先生にちゃんと自分のやったことを話した方がいいのだろうか。いや、そんなことをしたら警察に連れて行かれる。僕が殺人を犯したなんて両親が知ったら、気が狂ってしまうかもしれない――
 そう考えて目を閉じた時、声が聞こえた。
「津山君、こんな所にいたんだ」
 谷だった。
「ちょっと、考え事」
「そう、教室はすごいことになっていたよ。内藤が死んだ話で」
「みんな何て言ってた?」
「はっきりと言う子はいないけど、こそこそと、あんな奴死んで当然だとか、いなくなってほっとしたとか、そんなことを言っていたよ。当然の反応だと思うけど」
「そう」
 僕は寝転がり、空を見つめながら言った。
「どうしたんだよ。あんまりうれしそうじゃないね」
「うれしい? うれしいわけないだろ。同じクラスだった子が死んだんだぞ。喜んでなんかいられるか」
 谷は僕の強い口調に驚いた様子だったが、
「僕はうれしいよ」
 そう呟いた。
「だってそうだろ、あいつがいなくなったら、何も命令されなくてすむ。何も恐れずに学校に来ることができるんだよ。やっとみんながやっているような普通の学校生活が送れるんだ。津山君も本当はうれしいんだろ?」
「僕はうれしくなんかない。どんな理由があるにせよ。人が死んでうれしいなんて思えないよ。内藤だって、小学校の頃はあんな風じゃなかった。覚えてる? 国語の時間、内藤が当てられて教科書を読むと、いつも漢字につまってなかなか進まなかった。それをみんなで笑っていたじゃないか。それって、本人にしたらすごく辛かったんじゃないかな。僕たちもいじめていたんだよ、内藤のことを……」
「君が言うことも正しいのかもしれないけど、仕方がないじゃないか。使いっ走りを毎日させられたり、金をカツアゲされたりしてりゃ、だれだって嫌いにもなるよ」
「何か方法があったんじゃないかなあ。内藤と古崎がクラスに溶け込む方法がさあ。それを考えないで、ただあいつは悪い奴だったと言うのはよくないと思うんだ」
 できるかぎりの優しい口調で言った。
「そんなことを言うなんて、君は偽善者だね。素直にあいつがいなくなってうれしいと言えばいいのに」
 そう言い残して、谷はいなくなった。
――偽善者か、本当にそうかもしれない。内藤を殺した犯人が僕だというのに、谷にはそれを言わないで、死んで悲しいなどと言ってしまうなんて――
 目に映った空の隅に、濃い灰色をした雨雲が少しずつ広がっていた。
――今夜は雨か――
 僕はこれからどうしたらいいのか、何の結論も得られないまま教室に戻った。

 教室に戻った僕は次の授業である英語の教科書を取りだそうと、机に手を入れた。その瞬間、僕はギリシャ彫刻のような表情を浮かべて固まった。
――まさか、また――
 指先に小さな瓶が当たった。僕は汗の噴き出した指先でそれを掴むと、誰にも見られないようにしてそれを確認した。
 透明な瓶に赤い液体が入っていた。母の使っているマニキュアの瓶のように見えた。
――今度はどうしろって言うんだ?――
 僕は手紙を探した。すると、机の奧の教科書に挟まっていた。取り出すと、そこには前回と同じようにワープロの文字が印刷されていた。

『昨日はご苦労様。うまくやってくれたね。
 期待通りの働きをしてくれた君には感謝している。でも、もう一つ頼みたいことがあるんだ。
 気が付いていると思うけど、赤い液体の入った瓶があっただろ? それを使ってほしいんだ。使い方は簡単。子猫を捕まえて、その爪にそれを塗るんだ。そして、その子猫を古崎の帰り道、家の近くがいい、に置いておくんだ。
 あいつは、最近猫を飼いたいと思ってるらしいから、持って帰るだろう。その後のことは想像に任せるよ。
 もし、これで失敗しても、別な方法を考えてあるから、また君に頼む。今回のことは気軽にやってみてくれ。
 断るとは言わせないよ。もし、やらなかったら君がやったことをすべて警察に言う。そんなことになったら君の人生はおしまいだよ。健闘を祈る。
 二年四組の改革者』

――二年四組の改革者。またこいつか――
 手紙を読み終わると、誰にも見られないようにすぐにたたんだ。
――どうしよう。おそらくこの液体は猛毒だろう。こんなものが塗られた猫に引っかかれでもしたら、毒が全身に回ってしまう。そうなったら、内藤と同じように、古崎まで死んでしまう。だけど、これをやらないと自分が警察に掴まってしまう――
 僕は授業が始まった後も悩み続けた。

 授業が終わり、いそいで帰り支度をしていると、
「津山君、さっきはごめん。偽善者だなんて、ひどいことを言ってしまって」
 谷だった。
「いいよ。別に気にしてないから」
「そう、それならいいんだ。すぐ帰るんだったら一緒に帰ろうよ」
「今日は用事があるんだ。ごめんね」
 そう言って、僕は教室から走って飛び出した。
 外に出ると、秋風が胸元に飛び込んできて、身を震わせた。
 僕は走りながら、自分の弱さを呪っていた。
――古崎まで殺そうと考えてしまうなんて、僕は何て醜い人間なんだ――
 瓶を握る右手に力を入れた。
 僕は堤防の橋の下に猫の親子がいるのを知っていた。そこの子猫を使おうと考えていたのだ。
 堤防には強い風が吹き、自転車のスピードはなかなか上がらなかった。僕は橋の上まで来ると自転車を投げ捨てるように置いて、坂を駆け下りた。
「確か、この辺にいたはずなんだけど」
 しばらく草むらを注意深く探すと、子猫を見つけた。茶色い毛をした、目の大きな猫だった。親の猫はいなかった。
 僕はその猫を抱きかかえて、坂を上り、自転車の前籠に入れた。
 この時の僕は僕は自分が助かりたい一心だった。どんなことをしてでも、警察に捕まりたくない。そう思っていた。
――古崎はいつもゲームセンターに寄ってから帰る。まだ帰っていないはずだ――
 僕は古崎の家へと急いだ。途中のゴミ箱で、手頃な大きさの段ボールを拾った。家の近くまでくると、段ボールを置き、その中に子猫を入れた。
 僕は「おとなしくしてね」と語りかけながら手袋をはめ、猫の爪に赤い液体を塗りつけた。嫌がる猫を動かすのは苦労したが、なんとか全ての指を真っ赤にした。
「お母さんと引き離してしまってごめんね。でも、こうするしかないんだ。あとで、きっとお母さんの元に返してあげるから、我慢してね」
 そう言って、子猫の頭をなでた。
――警察なんかに捕まったら、この子猫のように、両親と引き裂かれ、孤独に生活しなくてはいけなくなってしまう。それだけはいやだ――
 僕はその場から逃げるように立ち去った。
 振り返ると、子猫が優しい声で鳴いていた。


 夜になって降り出した雨は、ますます激しさを増していた。屋根を叩く雨音が、部屋の中で小さくこだましている。
 街は雨によりその生気も流されて行く。それは自然とは逆であった。
 男は今、一枚の紙と対峙していた。男の体の中では、憎しみの渦が、水かさの増した川の流れのように駆けめぐり、雨や風の音とあいまって異様な狂騒に包まれた。
「二度目の手紙。これも計画通りに実行された」
 片方の頬を吊り上げ、男は鉛筆を指先で一回転させた。
「これで終わりであって欲しい、次の計画を実行する前に」
 男は周りの空気を振り払うようにして立ち上がった。
「もし明日、あいつがこなかったら、完了だ。もう何も恐れることはない。そして仕上げに移る」
 握った鉛筆が鈍い音を立てて折れた。
 周囲の喧騒を吸い込んで、雨音が絶え間なく鳴り続けていた。
 

 次の日、夜の雨が嘘のように、晴れわたっていた。
 いつもより早く学校に着いた僕は、古崎の席をじっと見ていた。
――あいつが、学校を休んだことはない。もしこなかったら内藤と同じように……――
 古崎は登校時刻を過ぎても現れなかった。
「内藤が死んで、かなりショックを受けていたみたいだけど、昨日はちゃんと眠れた?」
 谷が話し掛けてきた。
「いや、あんまり」
 と言って、大きくあくびをした。
「津山君の優しさがうらやましいよ」
「えっ?」
「昨日一晩考えてたんだけど、やっぱり内藤が死んで、悲しくないんだ。よかった。楽になる。そんな感情が自然に湧いてくるだけなんだ。僕ってひどい人間なんだろうか?」
「谷……」
 僕は何も言えず、谷の小さな瞳を見つめた。
「おはよう」
 長谷川先生が入ってきた。谷は急いで自分の席に戻った。
「最初にみんなに言っておかなくてはいけないことがある」
 長谷川先生は真剣な表情で、うつむいた。
「古崎が昨日亡くなった」
 一瞬にして教室がざわついた。
 僕もみんなに会わせて驚いたふりをした。
「みんな、静かにしてくれ。大事な話なんだ」
 生徒たちはぴたりと話すのをやめた。
「古崎は持って帰った猫に引っかかれて、その爪に塗られていた毒で死んだという話だ。今の世の中、どんな悪質ないたずらをする人間がいるか分からない。みんなは変な物を拾って持って帰ったりしないように」
 そう言うと、何もなかったかのようにホームルームをはじめた。

 学校の帰り道、僕は谷と二人で自転車を引きながら帰った。
「古崎まで死んでしまうなんて、偶然とは思えないよね。まるで誰かに二人が狙われて殺されたみたいだとは思わない?」
 僕はその言葉で全身に電気が走ったが、それを悟られないようにわざとゆっくりとした口調で言った。
「内藤は買ったパンに、古崎はたまたま拾ってきた猫の爪に毒が塗ってあったんだよ。二人を狙ったとは考えられない。僕は長谷川先生が言ってたみたいに誰かの悪質ないたずらだと思う。
 人が死ぬような毒なんてそう簡単には手に入らないだろうから、偶然毒を手に入れた人間がおもしろ半分でやってる無差別殺人だよ。きっと、警察がすぐに犯人を捕まえてくれるよ」
 自分で、警察、と言って、どきりとした。
――警察はもう捜査をはじめたのだろうか。猫を置いたところを誰かに見られていたらどうしよう。あの時は何度も周りを確認した。しかし、誰にも見られなかったという確信はない――
「どうしたの? 神妙な顔をして」
「いや、何でもないよ。それより、最近買ったゲームなんだけどさあ。それが面白くて、面白くて」
 僕は強引に話をゲームに持っていった。しかし、内藤が死んでからはゲームなどしていなかった。
――あの手紙を書いた犯人は、僕が人を殺していくのをゲームのように楽しんでいたのだろうか――
 沈みかけの夕日の光は弱々しく、僕の心の暗い部分を照らしてはくれなかった。

 部屋に着いた僕は、ベッドに倒れ込んだ。
――僕は何てことをしてしまったんだ。二人も人を殺してしまうなんて――
 涙が溢れ出てきた。
――このまま黙っていたら、あいつらを殺したのが僕だということはばれないですむのだろうか――
 僕は警察は髪の毛一本からでも犯人を特定するという、あるテレビ番組のシーンを思い出した。
――猫を置いた時、一緒に自分の髪の毛も落としていたらどうしよう――
 一人になった途端に細かい不安が大きく膨らんできた。
 僕は引き出しから、しまってあった瓶を取り出した。白い粉が入っている。手紙には捨てろと書いてあったが、取っておいたのだ。
「これを飲んだら死ぬことができる」
 この時僕は一瞬だが、この毒を飲んで死のう、そう考えた。心の弱っていた僕は、内藤と古崎を殺した罪は死んで償うしかない、そう思ったのだ。しかし、僕にはやり残したことがあった。
――あの手紙を送りつけてきた犯人、手紙の中の殺人者を見つけるまでは、死ぬわけにはいかない――
 自分にこんなことをさせた犯人を見つけるまでは、自殺するのは止めようと思い、ぎゅっと唇を噛んだ。
――事件のことをもう一度ゆっくり考えたら、何か思いつくかもしれない――
 そう思った僕は、腕を組みながら目を瞑った。
――最初の手紙、あれには内藤に渡すパンにこの粉を塗れと書いてあった。あの時、粉さえ塗らなければこんなことにはならなかったのに、粉を塗る、まてよ――
 僕はぱっと目を開き、壁の一点を見つめた。
――あの手紙を書いた人物は、どうして僕がパンに粉を塗れると分かったんだろう。僕が内藤たちにパンを買っていることを知っている人はいるかもしれない。弁当を持ってきている僕が購買でパンを買っていたら、勘のいい奴だったら気が付く。
 しかしだ、パンに粉を塗るとなればどうだろう。普通に考えたら、パンは袋に入ったまま内藤に渡され、彼が自分で封を開けるから、粉なんて塗る暇はない。だから、パンにこの粉を塗れ、なんて書くわけがない。
 あの手紙を書いた人物は、僕が内藤にパンを渡す時、封を切って手渡ししていることを知っている人物だ――
 僕の全身から冷たい汗が噴き出した。
「ま、まさか。うそだろ」
 僕が思い描いた犯人。それは、谷だった。
――あいつが犯人なら全てのつじつまが合う。内藤へのパンの渡し方を知っているし、古崎が猫を飼いたいと言っていたのも聞いているはずだ。
 それに、僕と谷が仲がいいのはクラスのみんなが知っていることだから、あいつが僕の机に手紙や瓶を入れていても誰も気にしないだろう。
 薬にしても、彼の家は薬局だ。人を殺すような毒を手に入れることが出来てもおかしくない――
 そこまで考えて、家を飛び出した。
「谷、お前が犯人だったのか?」
 一番信じていた人間を疑わなくてはいけない。小さく絞めつけられた胸がはじけそうで痛かった。

 僕はありったけの力を込めて自転車をこいだ。太ももがつりそうなくらいに張ってくる。
「あっ」
 僕は谷の家に向かう途中で、彼を見つけた。
「おい、谷」
 僕は腕を掴みながらそう怒鳴った。谷は一度、大きく体を震わせてから、
「ああ、津山か」
「この手紙、お前が書いたのか?」
 そう言って僕は、二枚の手紙を広げて、谷の顔に近づけた。
「そ、その手紙」
 何か知っていそうな表情だった。
「やっぱり、お前か」
「違うよ。僕が書いたんじゃない。これを見てくれ」
 そう言って谷はポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
「これが机の中に入っていたんだ。君の持ってるのと同じものだよ」
 見ると、僕が持っている手紙と同じ文字が印刷されていた。
「僕たち二人に同じ内容の手紙が送られていたなんて、もしかして谷、お前も内藤のパンに粉を塗ったのか?」
 一瞬、ためらうように唇を動かして、
「うん、実はそうなんだ」
 谷が、今日は僕が内藤にパンを渡すよ、と言った時のことを思い出した。
「あの日、お前が内藤にパンを渡したいと言ったのは、粉を塗るためだったのか」
「そう。あの時は気がつかなかったけど、君も塗ってたんだね。二人で同じことをしていたなんておかしいね」
「ほんとにそうだ」
 小さく言った。
「ほんのいたずらのつもりだったんだ。それなのに、あれが猛毒だったなんて」
 谷は目を一瞬広げて、
「津山君、今その粉が入った瓶持ってる?」
「ああ、あるよ」
 僕の温もりで暖かくなった瓶を谷に見せた。谷は、
「ちょっと貸して」
 と言って、その瓶の蓋を開け、粉を指に付け、その指をくわえた。一瞬の出来事だった。
「お、おい。何をするんだ。死ぬ気か」
 焦った僕は谷から瓶を奪おうと手を伸ばした。しかし、谷は平然としていた。
「やっぱりそうだ。これは毒なんかじゃない。ただの小麦粉だ」
「えっ、小麦粉だって?」
「舐めてみて」
 僕は眉間にしわを寄せながら、瓶の粉を少量だけ人差し指に付けると、恐る恐る口に入れた。
「ん? 味がない」
 粉っぽい感覚だけだった。
「僕は今日、古崎が死んだのを知って、自分がしたことの重大さに初めて気が付いたんだ。だから、もう死んでお詫びするしかない、そう思って僕の机に入っていたその粉を舐めたんだけど、ぜんぜん死ねない。それでも、どうしても死にたくて、猫の爪に塗った赤い液体も舐めたんだ。だけど、やっぱり死ねなかった」
「それはどういうこと?」
「つまり、僕たちは殺人なんて犯してないってことだよ。内藤も古崎も誰か別な人間に殺されたんだ。僕たちにこんなことをさせた、この手紙を書いた人物によってね」
 谷にしては珍しく、情熱的な口調で話した。
「でも、自分で殺すのなら、どうしてわざわざ僕たちに手紙を書いてまで、こんなことをさせたんだ?」
「きっと犯人役が欲しかったんだよ。この先、警察の捜査が進めば、間違いなく学校の生徒たちも尋問される。そうなった時、自分がやりましたと名乗り出てくれる人物。それが僕たちだ」
「真犯人は自分が疑われてもやってないと言い続ける。そうしている間に、僕たちのどちらかが自供して、犯人として逮捕される。そういう筋書きなんだな」
「そう。犯人は二人に手紙を出せば、どちらかが実行してくれるだろうと考えていたんだ。もし二人とも実行しなかったら、毒を塗るのを止めればいい。犯人はどこかで僕たちのことを監視していたんだよ」
「なるほどね。僕たちがやらなかったら、今度は別な生徒に手紙を出し、違う方法で殺そうと計画していたんだろう。だとすると犯人は誰なんだ? かなり彼らを恨んでいた人物だと思うけど」
「僕は長谷川先生が怪しいと思っている」
「えっ、長谷川先生が?」
 谷の意外な発言に、声が裏返った。
「思い出してごらん。内藤に粉を付けたパンを渡した日、僕たちは先生にぶつかってパンを落としただろ? あの時、先生は優しく拾ってくれた」
「その時に毒を付けたって言うのか?」
「ああ、可能性としては考えられる。先生は彼らにいつも授業をじゃまされていたから、腹が立っていたんだろう。だから、殺してしまおうと考えたんだ」
「まさか、先生がそんな理由で二人の生徒を殺すのか?」
「他にも何か僕らの知らない動機があったのかもしれない。僕は今から学校へ行ってそのことを訊こうと思っている。津山君も来ないか? この時間なら、まだ先生はいるはずだよ」
 僕は無言で頷き、谷に付いて自転車を走らせた。

 学校に着くと、校庭で長谷川先生を見つけた。顧問のハンドボール部の練習が終わったところらしく、上下紺のジャージを着て、片手にストップウォッチを持っていた。
「長谷川先生、ちょっと待ってください」
 僕は呼吸を荒げて言った。話した途端に汗が頬をつたった。
 長谷川先生は僕と谷を交互に見ながら言った。
「どうしたんだ、お前たち。帰ったんじゃなかったのか?」
「ええ、そうなんですが、訊きたいことがありまして」
「そういうことか。それで何なんだ。その訊きたいことってのは」
「えーっと、それは...」
 僕が言い出しにくそうにしていると、しびれを切らせた谷が横から、
「先生が、内藤と古崎を殺したんですか?」
 単刀直入に切り出した。
 長谷川先生は急に笑顔になって、
「な、何をいきなり言い出すんだ。そんなわけないだろ。先生は人を殺したりなんかしないよ」
「でも、先生はあの二人にいつも授業をじゃまされて嫌いだったんじゃないんですか?」    
 谷が言った。長谷川先生も谷の真剣な言葉に顔を引き締めた。
「おいおい、待てよ。あいつらのことは嫌いじゃなかったよ」
 谷は構わず続けた。
「テレビのニュースなどを見ると、最近はどこの中学校でも素行の悪い生徒が増えてますよね。それなのに、親たちは子供に何かあれば、決まって学校が悪いだの先生の教育の仕方が悪いだの言い出すじゃないですか。それに腹を立てていたんじゃないんですか? それは子供を育てた親たちの責任だろうって」
 先生は黙ったままだった。
「僕は見ましたよ。先生が近所のスーパーで内藤の母に、うちの子はいったいどうなっているんですか、とか、長谷川先生のクラスになってからおかしくなったとか言われて謝っているのを」
「谷が言うように内藤の母親にいろいろ言われたのは確かだよ。だけどな、それで殺そうだとか思うわけないさ」
 僕は小さくうなずいた。
「彼らが亡くなったのは偶然の事故だったんだって警察も言っているだろ? お前たちがあれこれ考える必要ないんだ。早く帰って勉強でもしなさい」
 僕もだんだん長谷川先生が犯人ではないような気がしてきていた。
 それでも、谷は勢いよく声を上げた。
「これを見てください」
「何だその紙切れは?」
 長谷川先生は受け取った紙を広げて、目を通した。
 赤い夕日の光が、校庭に僕たちの長い影を描いている。
 先生は瞬きするのも忘れて、一気に最後まで読んだ。
「この手紙……。お前まさかここに書いてある粉を使ったんじゃないだろうな?」
「使いましたよ。剛にも同じ手紙が来ていて、同じように使ったそうです」
「じゃあ、内藤や古崎が死んだのは......」
「違いますよ、とぼけないでください。僕らが塗ったのは毒ではなくて、ただの小麦粉でした。内藤が死んだのは、この手紙を書いた人物が塗った別の毒だったんですよ」
「ははあん。その手紙を書いて、内藤や古崎に毒を盛ったのが先生だというんだな」
「そうです。古崎の場合は誰でもできるけど、内藤の時は、毒を塗れる人間が限られていた。僕と剛と先生です」
「何で、先生が入るんだ?」
「あの日の昼、廊下で僕たちにぶつかったじゃないですか。その時、パンに毒を塗ったんですよ」
 谷は自信たっぷりといった様子で口をとがらせた。
「じゃあ、訊くが、谷が言うように、お前たちと廊下でぶつかった時に毒を塗ったとすると、どうやって先生はお前たちが通る道が分かったんだ? どのルートで屋上に行くかなんて分かりっこないだろう。
 あそこを歩いていて、お前たちが別なルートで屋上に向かっていたら、先生は毒を塗れないことになる。そんな計画的な手紙を書いた人物が、そんな雑な犯行はしないと思う。別の人間だよ。
 それに、昨日だって授業後に職員会議があって、とても猫に毒を塗りに行ってる暇なんてなかったよ」
 谷は急に黙ってしまった。
――先生も犯人ではなさそうだ。だとすると、犯人とはいったい誰なんだ? あの時、パンに毒を付けることができた人物が他にもいたのだろうか?――
「もう気が済んだか?」
「は、はい。疑ったりしてすいませんでした」
 謝りながらおじぎをした時、腹に強烈な痛みが走った。その痛みはすぐに胸にまで上がってきた。
「う、うぐ」
 そのまま両手を地面についた。
「どうした津山。大丈夫か?」
 長谷川先生が僕の肩を抱きながら言った。
「お、お腹が……」
 暑くもないのに額から汗が流れ落ちてきた。呼吸も荒くなっている。
「まずいな。先生は救急車を呼びに行ってくる。谷、見ててやってくれ」
「はい」
 長谷川先生はストップウォッチを投げ捨て、職員室に向かって走っていった。
「た、谷。もしかして、この痛みってさっき舐めた粉のせいかな?」
「そうだね。きっと」
 感情のない顔で、冷たく言った。
「お、お前も舐めたよね? 大丈夫か?」
「大丈夫だよ。僕は舐めていないから」
 その言葉で一瞬、時が止まった。
「ちょ、ちょっと待て、どういうことだ? 僕は舐めたところを見たよ」
「違う。中指に粉を付けて、人差し指を舐めたのさ」
「どうしてそんなことを……。ま、まさか、お前が犯人なのか?」
「そうだよ。君に手紙を書いたのは僕だ」
 そう言って、谷は意地悪そうに笑った。
 僕は足元で爆弾が爆発したような衝撃を受けた。
「どうして二人を殺した?」
「勘違いするな。殺したのは僕じゃあない、君だ。手紙に書いた通りのことをしたのは君だろう? 僕は何もしちゃいない」
「やっぱり、ぼ、僕が二人を殺してしまったのか。何てことだ」
 傷みがいっそう酷くなった。
「どうだ? 人を殺した感想は?」
「感想だって? ふざけるな。死ぬなんて思わなかったんだよ」
「そうか。でも、古崎の時は死ぬって分かっていたんじゃないのか?」
「そ、それは……」
「それでも手紙の通りにしたのは、誰かが死んでも自分が助かりたい、そう思ったからじゃあないのか?」
「……」
「正直に言ったらどうだい。僕は自分の意志で人を殺しましたってな」
「ああ、た、確かにそうかもしれない。なら、お前は何で僕を殺そうとする?」
「はははは、何で殺すかだって? そんなの、お前が気に入らないからに決まっているだろ。内藤や古崎に何をされてもへらへら笑って、我慢したらいいじゃないか、だって? ふざけるなよ。我慢なんてできるわけないだろ」
 そう言うと僕の腹を殴った。
「がふっ」
 血の混じった唾が吹き飛んだ。
「強いものにこびてるお前を見てると、いらいらするんだよ」
「こびていたわけじゃない」
 僕は喉がすり切れるような声で話した。
「内藤と古崎に対する償いだったんだ」
「どういう意味だ?」
「僕は小学生の頃、彼らをいじめていたんだ。背が低くて、ひ弱で勉強もできなかった彼らをばかにして、田んぼに突き落としたり、虫を食べさせたりしていたんだ」
「……」
「だから、中学になって彼らに何をされようが、何を言われようが我慢するしかないと思っていたんだ。これは昔やったことの償いなんだって……。ごめん」
「……」
「そのことを話さなくて、ご、ごめん」
「いきなり何を言い出すんだよ。い、今更そんなことを言ったって遅いんだからな」
 谷の震えが僕にも伝わってきた。
「ああ、分かっているよ。どうせ犯人を見つけたら自殺しようと思っていたんだ。死ぬのは怖くない」
 そう言って僕は咳き込んだ。そのあと続けた。
「お前は、内藤と古崎が、お、思い通りに死んでうれしいと言っていたけど、い、今でもそう思ってるのか?」
 谷はたどたどしく話す僕を励ますように、何度もうなずきながら聞いていた。
 肌を切り裂くような冷たい風が、僕と谷の間を吹き抜けた。ふと移した視線の先、校庭の隅で、土埃が舞い上がるのが見えた。
「思ってるよ。これで楽しく学校に通えるって」
「本当にそうなのか? 内藤が死んで二日、古崎が死んで一日だけどあいつらがいなくなって学校が楽しくなったか?」
「……」
 谷は黙って、小さく顎を縦に振った。
 夕日の当たった彼の横顔は、寂しそうな顔に見えた。
「そうか、楽しいのか……」
 僕の頬には線が残りそうな濃い涙が流れた。
「最後にお願いがある」
「何?」
「お前の計画だと、俺を、は、犯人にしようとしてるんだろうが、それだと、僕の家族に、め、迷惑がかかってしまう。だ、だから、俺も偶然拾った毒で、し、死んだことにしてくれないか?」
「あの手紙はどうするんだよ。先生に見られてしまったんだぞ。お前が書いたことにしなかったら誰が書いたって言えばいいんだ?」
「ぼ、僕が、先生をおどかそうと、二人が死んだあとに悪戯で書いたと言ってくれ。た、頼む」
 僕は谷の腕を残った力全てを使って、握りしめた。
 谷は何度も目線を移動させたあと、俺と目を合わせないで言った。
「分かったよ。じゃあ、これを飲め」
 そう言って赤い粉の入った小瓶を取りだし、慣れた手つきで蓋を開けると、僕の喉に流し込んだ。
 その途端、口いっぱいに苦みが広がり、気も遠くなっていった。
――こ、これが死ぬ苦しさか……――
 気を失う瞬間、遠くで救急車のサイレンが聞こえた。

 目の前にかかっていた靄がすーっとはれて、光が射し込んできた。
 その光が目の中に溜まっていく。
「剛、剛……」
 呼びかける声が聞こえた。柔らかで優しい声だった。
「あ、あれっ。ここはどこ?」
 霞んだ目を擦りながら、間抜けな声を上げた。
「病院よ、剛。お、お母さん。どうしてここに?」
「担任の長谷川先生に呼ばれたのよ。お前が救急車で運ばれたから病院まですぐ来てくれって」
――僕は助かったのか……――
 ほっとして大きく息を吸い込んだ。
「医者の先生は、胃炎だって言ってたわよ。どうせ、変な物でも食べたんでしょ」
「う、うん」
――変な物と言われればそうかもしれない――
 僕は首をぐるりと回した。
「谷はここに来てないの?」
 笑顔だった母の顔が一瞬にして曇った。
「どうしたの?」
「谷は?」
「あんたのクラスの内藤君と古崎君が亡くなってしょ? あれはあの子が犯人だったんだって、それで警察に連れて行かれたわ」
「警察に?」
 僕はベッドで飛び起きた。
「自分で警察に電話したそうよ。あの優しそうな子が殺人だなんて、分からないものよね」
――あいつが自首して、僕は助かったのか――
「谷の奴、何か言ってなかった?」
「ああ、そうそう。これを渡してくれって」
 僕は母から一通の封筒を受け取った。
「先生に目を覚ましたことを言ってくるからちょっと待っててね」
 母の言葉を聞きながら、開封して、手紙を取り出した。

『津山君、こんにちは。さっきはごめん。
 君に最後に飲ませたのは解毒剤だ。
 本当は使う予定はなかったんだけど、君を死なせるわけにはいかなかった。
 僕はこれから自分の罪を償うつもりだ。
 もし、いつか君に会うことがあったら、また友達になりたいよ。
 でも、それは贅沢かな……。
 最後に、やっぱり君は正しかったよ。誰だろうと、人が死んで楽しいはずがない。
 さようなら。』

 僕はその手紙を何度も読み返した。
 腕に繋がった点滴は、一定のリズムで僕の中に染み込んでいった。
――贅沢なもんか。また君と一緒に笑える日が来るのを僕は待ってるよ――
 廊下で足音が聞こえた。母が戻ってきたらしい。
 僕は手紙をしまうと、また布団に潜り込んだ。

END